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※マニトワック・シップビルディング社 Manitowoc Shipbuilding Co. は、元々バーガー&バーガー Burger & Burgerによって1863年に開発され、1871年以来、修理場とされていた造船所をチャールズ C. ウェスト Charles C. Westとエリアス・ガネル Elias Gunnellに売却、マニトワック・ドライ・ドック社 Manitowoc Dry Dock Co. として1902年に設立。1910年にマニトワック・シップビルディング&ドライ・ドック社 Manitowoc Shipbuilding and Dry Dock Co. と改名。1916年にマニトワック・シップビルディング社と改名。第二次大戦では商船の建造から潜水艦の建造に切り替え、ピーク時には7,000名を雇用するようになった。戦後は商船の建造に戻る。1952年にマニトワック・シップビルディング株式会社 Manitowoc Shipbuilding, Inc. と改名するも1968年に建造を停止。マニトワックはクリスティ社 Christy Corporation(旧リーゼム D. スミス造船社 Leathem D. Smith Shipbuilding)とスタージョン・ベイ・シップビルディング Sturgeon Bay Shipbuildingが取得し、隣接するスタージョン・ベイ Sturgeon Bayの造船所と一つとなり、ベイ・シップビルディング Bay Shipbuildingと改名。マニトワック・シップビルディング社は1972年に閉鎖
※マニトワック・シップビルディング社はミシガン湖 Lake Michiganに注ぐ川沿いにあるので、下の潜水艦ガヴィナ Guavina(SS-362)の進水式の画像のように、横滑り方式をとった。潜水艦ガトー/バラオ級の項でも触れたが、マニトワック・シップビルディング社はエレクトリック・ボート社製の図面で建造。下のガヴィナ(SS-362)の画像でも分かるように、エレクトリック・ボート社設計案は主錨が右舷。上部構造のフリー・フラッド・ホール(半月の穴が一列に並んでいるヤツ)が半月型。艦橋(Farewater)の直前まで並び、そのあとはスリット状になっている。ポーツマス海軍工廠設計案は角丸長方形で、上部構造の後端まで上下3〜1列に連続して並ぶ
↑Manitowoc Shipbuilding Company, June 1943. Image courtesy of Wisconsin Maritime Museum.
↑The Guavina (SS-362) starts to raise her launching timbers on the building ways at Manitowoc Shipbuilding Co., Manitowoc, WI., 29 August 1943. Image courtesy of NavSource.


メア・アイランド海軍造船所(MINSY)は、太平洋上に設立された最初のアメリカ海軍基地である。サン・フランシスコ San Franciscoの北東40.23km、カリフォルニア州 State of Californiaのヴァレーオ Vallejoに位置する。ナパ川 Napa Riverはメア・アイランド海峡 Mare Island Straitを通り、半島の造船所(カリフォルニア州メア・アイランド)とヴァレーオ市 City of Vallejoの主要部分を分けている。第二次大戦中は、サン・フランシスコ・ベイ・エリア San Francisco Bay Areaの造船業を統括する役割を果たすとともに、アメリカ西海岸随一の潜水艦港として名をはせた。基地は1996年に閉鎖され、いくつかの再開発段階を経て現在に至っている。1960年にカリフォルニア歴史ランドマーク California Historical Landmarkに登録され、1975年に一部が国定歴史建造物地区 National Historic Landmark Districtに指定された。メア・アイランド海軍造船所は、1854年にデヴィッド・ファラガット提督 Commodore David Farragutを初代司令官として設立され、1996年に閉鎖された。メア・アイランド海軍造船所は、その存続期間中に5,200エーカー(2,104 ha)を超える広さに拡大し、500隻以上の艦艇の建造と数千隻の艦艇のオーヴァーホールを担当した。しかし、1993年に行われたBRAC(Base Realignment and Closure:基地の再編成と閉鎖)により、MINSYは閉鎖の対象となった。1996年4月1日に海軍の活動は終了し、施設は廃止された。現在、旧海軍造船所内には、California Conservation Corps、Touro University California、および多数の商業・工業用企業が土地を借りている。2000年5月に海軍はルーズヴェルト・テラス Roosevelt Terraceと呼ばれる旧住宅地の譲渡を“経済開発譲渡 economic development conveyance”を用いて完了させた。これは、BRAC施設を経済的利益のために民間社会に戻すことを促進する方法である。海軍はまた、魚類野生生物局の保護区 Fish and Wildlife Service refuge、森林局のオフィス・ビル Forest Service office building、陸軍予備役センター Army Reserve Center、沿岸警備隊の通信施設、教育省の学校 Department of Education schoolなど、他の政府機関にも造船所の土地を譲渡している。上空からの見学はGoogleでこちら


1942年に設立されたマリネット・マリーン社 Marinette Marineは、戦時中に5隻の木製船体のB3-F1型艀と6隻の木製船体のV2-M-AL1型曳船を建造したのが始まり。第二次大戦後は、数百隻の小型揚陸艇や作業船を生産し、洗練された中規模の造船会社に成長した。記録は、マリネット・マリーン社が海軍のために何隻の船を建造したのか、また、それらについて何が起こったのかは正確には不明である。社名の所のリンク先の建造リストは2つの部分に分かれてる。最初の部分では、マリネット・マリーン社が建造した政府用、商業用を問わず、個々に名前や番号が付けられた全ての船をリストアップしている。第二部では、造船所の小型船の契約をリストアップしている。同社は1970年代中ごろまで伝統的な船体番号の連番制を採用していたが、最初の2桁が契約年を表す4桁のシステムに変更、1990年代初めには現在の3桁のシステムに変更された。1999年にマニトワック社 Manitowoc Corp. が買収するまで、マリネット・マリーン社は非公開会社だった。マニトワック社は、2008年にベイ・シップビルディング社 Bay Shipbuildingと クリーヴランド・シップ・リペア社 Cleveland Ship Repairを含むマリーン・グループ Marine Groupをフィンカンティエーリ Fincantieriに売却し、現在は フィンカティエーリ・マリーン・グループ Fincantieri Marine Groupと呼ばれている。Googleでここの航空写真を見ることができる
フィンカティエーリ・マリネット・マリーンは、2023年4月12日の早朝に攻撃を受け、造船所のネットワーク・サーヴァー上の大きなデータの塊が、未知の専門家グループによって使用不能にされたと、この攻撃に関する海軍の概要に詳しい2名の関係者が4月20日にUSNI Newsに語った
フィンカティエーリ・マリネット・マリーンは現在、米海軍向けのコンステレーション級ミサイル・フリゲイトのネームシップを建造中で、2026年の竣工を予定。そののち、建造ペースを2年で3隻から年間2隻に引き上げることになっているため、生産性向上のために自動溶接ロボットを導入するなどの自動化を取り入れる


※ムーア・ドライ・ドック社 Moore Dry Dock Companyは、1905年にカリフォルニア州のサン・フランシスコにてムーア&スコット鉄工所 Moore & Scott Iron Worksとして設立。けれどもサン・フランシスコ地震において焼失。1909年にカリフォルニア州のオークランド Oaklandにあるユニオン・ストリート Union Streetのブール&サンズ造船所 Boole & Sons shipyardを買収し再スタートする。1917年に名前をムーア・シップビルディング社 Moore Shipbuildingと変更、さらに1922年にムーア・ドライ・ドック社に変更した。海事委員会および海軍は、それぞれ$9,000,000を第二次大戦のために設備に投資、造船所を拡張していく。造船所は1960年に閉鎖


Update 24/04/23